ライナーノーツ(日本語訳)
振り返ってみると、この上なく素晴らしい“アイデア”の様に思えた。“アイデア”とはそもそも具現化される事が前提のはず。だが我々の社会ではアイデア倒れに終わる物事が多い訳で、それがミュージシャンやレコード会社ならばなおさらだ。例えば、1年間に12枚の7インチ・シングルを、それぞれの内容に関連づけたアートワークを施して、15,000枚の限定プレスでリリースするという事。それ自体は実に単純明快。結局その“アイデア”は実行に移され、忠実なファンたちに支えられ12枚のヒット・シングルを生み、蒐集家たちの手を渡り、そして・・・歴史はこの様に作られた。確かにマイナーな歴史、多分に些末過ぎるものだ。でも、人生の成り立ちとはそういうものじゃなかったけね?
デイヴィッド・ゲッジ『みんな僕らがファンタスティックな計画を持っていると捉えていたみたいだね。ミュージック・ビジネスに対する挑戦とかチャートの存在を滅亡させるものとか、もしくは7インチ・シングルのチャンピオンになる様なものとか。でもそういう意図は大して無くて、たまたまあの当時やってみるには相応しいタイミングだったというだけでね。Sub Popレーベルだってシングルズ・クラブを持っていたし、たぶんBlast Firstレーベルもだったかな・・・そういったものに影響を受けた。実際のところ誰が言い出した事だったのかな・・・(ベースの)キース(・グレゴリー)だと思う。ただ一旦それを考え出した以上、後には引き下がれなかったね。“全部7インチ・シングルで行く事にするよ。なにせ最強最適のポップ・フォーマットだしね。あとB面は全部カヴァーで、ヴィデオ・クリップも作って、あとT-シャツも付けようか!”みたいな感じだったな。ともかく、ただ単に次のアルバムのために曲を書くよりも興奮出来るプランに思えたんだ。』
ザ・ウェディング・プレゼントはそのキャリアの中でも奇妙な段階にあった。音楽プレスは相変わらず彼らを“新しいスミス”に仕立て上げようとしていた。ジャーナリストたち(そう、移り気で滑稽な連中だ)はアメリカへ、シアトルへ、そしてSonic YouthやPixies、スティーヴ・アルビニのBig Black、そしてザ・ウェディング・プレゼントといったグループに影響を受けたノイズ・サウンドの勃興へと目を向け始めた。ゲッジとその仲間達は実際には初期のInternational Pop Underground[訳注:アメリカ・オリンピアを拠点とするKレーベルが1987年に始めた7インチ・シングルのシリーズ。Teenage FanclubやThe Pastels、Built to Spill、Unrestなどが名を連ねる→参考サイト]から主な影響を受けていたが、誰もその事を指摘しようとはしなかった。誰一人として、そんな過去のルーツに目を向けさせようとはしなかったのだ。
デイヴィッド・ゲッジ『1992年の話。僕らはプロジェクトの進行に合わせて曲を書いていった。すべてを準備万端にしておくよりその方が良いと思ったからだけど、正味の話、この計画が思いついたのは1991年の10月だったから、もう待ったなしの状況だったんだ!当初3曲があって、それが最初の3枚のシングルになった。その他の曲を3無いし6曲、4回のレコーディング・プロジェクト用に振り分けて、それぞれ最後まで貫徹させた。(所属レーベルだった)RCAには予算を抑えられて助かっただろうね。彼らのインフラを使っていた訳だから。』
僕はデイヴィッド・ゲッジに対してやっかみを持って、この“Hit Parade”当時に痛烈情け容赦ないレビューを書いたものだった。PavementやSmog、Superchunkの様な別のU.S.バンドのサウンドを借りてきた感じ(考えてみると、実際には反対だった訳だが)のそれぞれのシングルの出来に対して満足出来なかった。で、実際そんな風に書いた。それはU.K.産のシューゲイザー・バンド、Lushの燃えるような赤毛の小娘、ミキの様な流行りのアーティストに“私のパンチをあの馬鹿に食らわせてやるわ”と言わせるような、またはサーストン・ムーアが実際に肉体的な暴力で脅しをかける様な、当時の自分が書いていた今では飯の種にもならない典型的なやり口の文章だった。でもデイヴィッドは抗議の声を上げなかった。次に逢った時にセクシーと呼ぶにはやや毛深いその目元をひそめてみせただけで、それはまた僕が彼の音楽を好きになるだろう事を確信させた出来事だった。
デイヴィッド・ゲッジ『何度か窮地に達して、このプロジェクトを貫徹出来ないんじゃないかって思った事もあったよ。でも潜在的な原則があった。音楽そのものを蔑ろにするものでは無いってね。もしその曲がA面曲に相応しくないクオリティであれば止めるつもりだった。でも僕は全部のA面を支持するよ。唯一「No Christmas」に関しては心配だったんだけど、今回リマスターした時に、なんてドラマティックで美しい曲だったんだ!なんて思ったんだけどね。』
僕は初期のウェディング・プレゼントの独特なウォール・オブ・ギター・サウンドや張りつめたヴォーカル、影響力の強い80年代初期のスコティッシュ・バンド、Orange Juiceからの影響をやや覗かせながら(と僕は思っていたしそれは大した問題ではないが)もソウルに満ちた演奏と共に奏でられる失恋物語に心酔していた。The Smithsとの比較は全く理解に苦しむ。デイヴィッドは悲劇に溺れる巧者ではなかった。僕にしてみれば、ザ・ウェディング・プレゼントとはジョン・ロブが率いていた前グランジ時代のバンド、Membranesの同種であり、例えばそのフェミニンで繊細な詞を持ったNirvanaの登場を予兆したバンドの1つでもあった明らかな“ロック・バンド”であった。そして何よりも重要なのは、ザ・ウェディング・プレゼントは僕の足を踊らせたバンドであった。出来れば生涯かけて部屋の隅に隠しておきたいThe Smithsにはできなかった事だ。
デイヴィッド・ゲッジ『B面曲を選ぶのは大変だった。メンバー全員カヴァーしたいお気に入りがあったからね。The Go Betweensの「Cattle and Cane」、僕の生涯のフェイヴァリット・ポップ・グループであるAltered Imagesやら。これらのオリジナルに手を加え過ぎたんじゃないかなとも思ったんだけども。カヴァーの中で一番の自慢は「Pleasant Valley Sunday」。僕はずっとThe Monkeesのファンだったからね。The Beatlesよりもマシだったって言いたいし、そこに関しては議論の余地を残しておきたいね。勿論、現実にはそうじゃなかったけど。実際、自分たち自身で曲を作り始めるまでは最高だったと思うよ。』
言うまでもないだろう。そのカヴァーはパワフルで熱烈で、原曲の作曲者たちが意図できなかった方向性と生命を吹き込み、スピーカーを焼け焦げさせるほどのものになった。そう、ザ・ウェディング・プレゼントが見せてきたいくつかの素晴らしい瞬間と同じ・・・“頭に血を昇らせる”[訳注:原文での表現は“a rush of blood to the head”...Coldplayの同名作に引っかけたもので、偶然にも同作はHit Paradeシリーズの一部が録音されたParr Streetスタジオで一部制作を行っている。](そして自ずと足が踊り出す)あの感じだ。
デイヴィッド・ゲッジ『だんだんシャレにならない事態になってきた。カヴァーのネタが尽きた、もしあっても上手くいかない状況に陥ったもので、頭を抱え始める事になった。あったのはMudの曲(「Rocket」)で・・・学校のディスコで「Tiger Feet」[訳注:やはりMudの曲]を踊ったのを思い出したね。あと“Twin Peaks”のテーマ「Falling」ね。オリジナル版は面白かったけど、あのTVシリーズの雰囲気には合ってないな、と思っていたんだよね。僕らのカヴァー・ヴァージョンの方がより不気味な響きがしていいだろ?で「別にやっちゃいけない事なんで無いんじゃない?」って考え始めてね。例えば「シャフトのテーマ」とか。白人の英国人のお坊ちゃまたちが黒人のアメリカン・ファンクをやる、みたいな。これはチャレンジだったね。』
ゴスペル・ミュージックの素晴らしい慣例と同様、ゲッジは常に来る福音を求めた・・・終わってしまった恋愛の傷心に耐え、否応の無い妄想、タチの悪い冗談から逃れもがく為の“福音”だ。その福音は“歌”というより“叫び”であった。気取った男性ロッカーたちが多少恩恵を被っている自意識の強いやり方ではない叫び...。
デイヴィッド・ゲッジ『シングルのいくつかはヒットするだろうって薄々感じてはいたけれど、まさか全部がヒットするなんて思いもしなかったよ。ラッキーだったのは、あの企画がみんなの興味を惹いたって事だね・・・RCAは心配してたけどね。今まで7インチ・シングルで儲けが出た事なんて無かったんだから。でもメディア受けしやすいアイデアとウェディング・プレゼントがレコーディングしたものが普通通りに買えなくなるだろう事を意味する限定プレスという組み合わせだったのが良かったのかも。一旦買い始めて、最初の3枚にガッカリしても、残り9枚がある。あのシリーズで僕ら最大のヒット「Come Play With Me」も出たしね。あれが唯一、TOP 10入りの面倒に巻き込まれた機会だった。』
ザ・ウェディング・プレゼントが登場するまでは、全てのロック・スターが男根主義的な、Iggy PopやMick Jaggerスタイルの卑しいほら吹きが理想である様に見えたものだった。だがあんな風に自分の魅力をアピールするのに頭やナニを使うだけの意味があるかい?そうは思わないね。きっと何杯かの安っぽいビールにありつけて、阿呆くさいフォロワーになるだけだ。
デイヴィッド・ゲッジ『僕はずっとコミック本のファンだったからね。コミックでよくある年間通してコレクションするというシリーズのアイデアは魅力だったし、まさに“Hit Parade”はそういうものだった。ポップ・ミュージックの世界では普通やらない類の事だけど、何で誰も真似しないのかな、って不思議だったよ。確かに困難を伴うし、大した儲けにもならないよ。今じゃ大抵のレーベルは価値を見出さないだろうね。』
Everett True (2002年12月) Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA |